一枚板について思うこと
公開日 2024/10/23 更新日
天然木の一枚板をダイニングテーブルとして使う方法、最近 人気です。
(以下の写真はすべて当店のお客様のご自宅です)
▲楠(くす)の木の一枚板。楠は虫除け剤の樟脳油が採れる木として有名です。
かっこいいですよね。憧れてしまいます。
家具って、本当は、憧れて、憧れて手に入れるものだと思うんです。
「取り敢えず」とか「これでいいや」というんじゃなくて。
▲ポプラ材の一枚板は優しい表情が特徴です。上のお客様のものは、一部に木目の変化が見られて床の雰囲気ともよく合っています。
だって、仮にカラーボックスを1000円で買ったとします。何年使うでしょうかね?
まあ1年で捨ててしまうこともあるかもしれませんが、あっという間に10年使っちゃっても、全然おかしくない話でもあります。
10年って人生の8分の1? 9分の1?
いやいや、大人になって、ちゃんとした意識(?)で、自分のことは自分でしっかり決めて楽しみながら生きていく時間を分母にすると、10年は もはや人生の5分の1くらいではないだろうかと…
なんかカラーボックス人生って…どうなんでしょ^^;
▲モンキーポット材。辺部に白太(しらた)がキチンと残っていると、一枚板らしさが際立って見えますね。
さて、それでは一枚板はどのくらいの時間使うのでしょうか?
「この家具は一生もの」なんてよく言ったりしますが、いろいろな理由で実際一生使える家具なんてほとんどありません。
一生壊れない家具はあります。
ありますが、家具は変化せず50年存在するのですけど、一方で残念なことに、それを使う人間の方は徐々に歳を重ねて、考え方や趣味嗜好が変わったり、家族が増えたり減ったり、社会情勢や流行が変わったり、お引越しをしたり。
そうなると、壊れず使っていた家具が使いにくくなったり、デザインが時代に合わなくなって陳腐化したりします。
で、買い替えざるを得なくなってくる。
▲栃の木の一枚板。絹のようにキラキラと光るような木目が特徴で「木のシルク」とも。見惚れてしまいます。
そういう変化=時代の流れの中で、一枚板だけはずっと毅然としてそこにあり、家族の中心にあり、歴史を刻み、次の世代へと受け継ぐことのできる数少ない家具の一つかなあ、と思っています。
もし私が親から、古くなった工業製品のダイニングテーブルを「これは高くて良いものだよ。あげるから使いなさい」と言われても、正直なところ ほっぺたピクピクものの愛想笑いがめいっぱいって感じでちょっと迷惑な気がします^^;
▲天日乾燥の様子。何年も風雨にさらし、割れるところは割れ、腐るところは腐り、残った精鋭は最後に人工乾燥機にかけられます。
でも、これが仮に一枚板だったら…
世界にたった一つしかなくて、自分が育ってきた環境の中心にいつもあり、何十年という時を家族と共に刻み、ここのシミも、そこの小さなキズも、一つ一つが思い出深く、これから先も常に傍に存在していたとしたら、
これは、嬉しいと思うのです。
流行とも無縁ですしね。
▲楠(クス)。ダイナミックに流れる木目から偉大な自然の息吹が感じられます。毎日、ここで食事できたら…
そして選ぶ脚やチェアの雰囲気で、例え傷だらけでも シミだらけでも、決して古臭くならず、その時代時代にどんなふうにもよく調和してくれるのも一枚板の魅力でもあります。
自分の人生の傍らで、じっくり楽しんで使い込み、そして次の世代へと引き継ぐ。
▲ウォールナットの一枚板。世界三大銘木の一つに数えられる銘木。荒々しく、深みのある色あいに圧倒されます。
一枚板は本来、憧れて、憧れて、手に入れるものですが、出来れば人生の早い段階で使い始めて、出来る限り長く、家族と共に時間を紡ぎたいものでもあります。
一枚板そのものに当然「希少価値」はありますが、その価値は お客様が「使い込んだ時間」という付加価値に比べたら、まったく取るに足らないものなのです。
2024.10.24 インテリアコーディネーター(950487A) 小川登志洋